| 蒲原町・由比町のある奥駿河湾沿岸に住む人々は 江戸時代の宿場の稼業の頃から、農地の他に塩業や沿岸漁業を営んできました。明治初期の地図には現在の東海道線のあたりから南側一帯はほとんど塩畑と記されており、集落の前面に拡がる砂浜を利用した製塩業の盛んであった様子がうかがわれます。「桜えび」漁業の始まる以前には、漁師は地引き網漁と沖合でのカツオ漁を主漁とし、マグロやカツオやカジキを求めて船で西伊豆から時には下田以遠までも漁に出かけていたようです明治の半ば頃までには、この地方ではこのほかに、かまぼこの材料となるキスやサメを水深600~800mで漁獲する、はえ網釣漁や冬のアジ船ひき網漁が盛んでした |
桜えびの歴史は意外に浅く、江戸時代にここ駿河湾に小さな美しい桜色をしたエビがいることは漁民の間で知られていたようですが、漁業として成り立ったのは明治27年(1894年)12月。いつものように鰺の夜曳漁に出掛けた由比町の望月平七さんと渡辺忠兵衛さんが富士川尻沖の漁場についてから網を浮かせておく浮樽を積み忘れて、仕方なく浮樽なしで鰺網をおろしたところ、網が深く沈んで、引き上げると一石(180リットルもの大量のエビが入ってきたことを機に、桜えび漁は一気に盛んになり、駿河湾の特産品として知られるようになったようです。 |
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| 桜えびという名をだれがいつ頃つけたかは定かではありません。体長は4~5㎝、透明で美しい桜えびを干すと その色が桜花を撒いたように美しかったことから桜えびと呼ばれているようです。富士川の河川敷で桜えびを天日干ししている様は、桜色のじゅうたんを敷き詰めたような風景で、季節の風物詩を味わうことができます |
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